創業万延元年 松の司

創業万延元年 松の司

松の司 huit

松の司

太古の日本人が魅せられた
サケの姿を求めて
甘美でエネルギーに満ちた
味わいに感じる日本古来の信心

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日本とは
何か?
現在世の中には色々な種類の酒が流通し、日本酒における価値観もさまざまです。高精白そのものを価値とすることや自然派志向にそった生酛や水酛、熟成や低精白そのものをアピールするトレンド。そういった価値観の酒たちにどこか違和感を覚え、日本酒とは本来どういったものであるのかを考えることがhuit(ユイット)を造るきっかけでした。
現在の日本酒が根本的なところで見落としている何か。日本人が日本の米で酒を醸す意義。「日本酒とは何か?」の探求です。
」「ケ」
日本酒は読んで字のごとく「日本」の「酒」。酒は「サ」と「ケ」に分けられます。「サ」は大和詞よりも古い古代語で神のこと。信仰、崇拝、畏敬の対象を「サ」と呼びました。「ケ」は古代語で食事のこと。朝食のことを「あさげ」と言いますがこの「げ」と同じ用法です。つまり「サケ」とは神の食事。神様をお迎えしその恩恵に感謝し捧げる食べ物のことをあらわしていました。
しかし江戸期に入ると、米を主軸にした経済が確立する中で、酒造りも産業化していきます。「サケ」は商品価値を帯び、酔って気分を高揚させる生活の潤滑油としての機能性アルコール飲料の意味合いを強めていったことも仕方のない流れだったと思います。酒の真義を探るためには古い時代の「サケ」の在り方を想像する必要がありました。
わが身の
化身である
神話の中の天地の始まりには泥の中から生まれた葦の芽のようなものが神々となり、日本がつくられたとあります。太古の日本人は泥田を自分たちの起源とし、そこでの営みから国土も作物もわが身もつくられたと考え伝承してきました。
こうした日本人の精神性の中で、稲穂はその土地固有の気候や風土を固定化することが出来るもっとも身近な媒体であり、同じ土地から生まれたわが身の化身でした。日本酒を造ることは日本の象徴たる米をより普遍的なものに変換する行為なのかもしれません。
様の
食べ残し
わが身の化身である大切な米を「サケ」の語源の通り神様に捧げたのち、その食べ残しである供物もまた大切に御下がりとしていただいたはずです。そのときに元はただの蒸した飯だったものが自然のコウジカビの作用で甘味を帯びていたこともあったでしょう。これが酒のもっとも原始的な風景です。
また甘くなった供物には必ず自然の酵母が混入していたはずで、ごくごく弱いアルコール発酵もしていたと考えられます。昔の人々は現代人に比べて極端に刺激物の少ない生活をおくっていたので、この神様が口に含んで霊力がうつった食べ残しを口にすると甘美で酩酊あるいは高揚し「神がかった」ように感じられたことでしょう。
つまり日本人にとって酒とはわが身の化身である稲穂の実から神の霊力を受けてさらに神聖な変化をしたものであり、それを口にしたときの実感により近いのはアルコールよりも「甘み」であったと想像するのです。
塩折之酒
記紀にはこう記されています。スサノオノミコトがヤマタノオロチ(大きな霊力)を倒すために飲ませた酒は八塩折之酒(ヤシオリノサケ)。「八」は日本の聖数、「塩」はもろみを搾った汁、「折」は何度も折り返すという意味です。強大な霊力に対抗するために最大限に霊力を高める方法で醸した酒であり、現代でいう貴醸酒のようなものであったとされています。まさに甘みを強くすることが霊力を上げると捉えられていました。
皇族が飲まれる酒の製法も平安時代の御所における造酒の司という役所の資料をみると現代の貴醸酒に近いものでした。ここでも甘みを強くすることは神聖なエネルギーの最大化と同義であったようです。
「サケ」
本来の姿
感じて
あらゆるものの時間の流れが早く、移り変わりの激しい現在、酒というものの存在意義を確認するために生まれたhuit。土地と人を映し、太古の昔から日本人がそこに求めた甘美でエネルギーに満ちた「サケ」本来の姿をhuitを通して感じていただければと思います。そして日本人にとっての日本酒というものをより深く美しく楽しんでいただくきっかけになれば造り手として大変うれしい限りです。

製法について
  • 原料米:竜王町産米(山田錦/精米歩合60% & もち米/精米歩合60%)
  • 酒 母:生酛造り(酵母無添加)
  • 仕込水/酒:松瀬酒造井水、
    純米酒
    • 原料米:竜王町産米(精米歩合65%)
    • 酒 母:生酛造り(酵母無添加)
    • 仕込水:松瀬酒造井水
名前の由来

huitとはフランス語で「八」の意味。日本の聖数「八」であり、読み方の「ユイット」は漢字に置き換えると「結人」、人を結ぶ。
古代から「八」という数字は特別で図形でいえば立方体です。すべての方位をあらわす無限大であり「たくさんの」という意味でも使われます。このhuitに太古から未来へ連綿と流れる限りない時間を込め、たくさんの人を結び喜んでいただけることを願って。